ビフテキを食す

今日は、かみさんが職場の宴会だそうで、一人なので、近所のインド料理屋(例のとこ)に向かいました。しかし、シャッターが冷たく下ろされています。電光掲示板は動いているのに! 諦めて松屋にでも行こうかと思ったのですが、なんだかうらぶられた気持ちがします。そこで、駅近くの、とあるステーキ屋さんに行ってきました。
入ると店の端で、なんだか三代集まった家族パーティのようなことをしています。小学生低学年くらいの坊やが素敵な帽子をかぶっていたりして、誕生日のお祝いでしょうか。私は、鉄板を前にして料理をしている御主人の前に陣取りました。後でちょっと、なんでこんなところに席を取ったのか悩みましたが、他のお客は家族パーティだけで、結果的にはカウンターは良い選択だったようです。私は、ステーキ 220g で 2,200円のコースを頼みました。
素敵に大きなステーキを焼いている御主人を眺めながら、一人でジョッキを傾けます。なかなか乙な雰囲気です。店には、過去の山形県知事(昭和 48年から 5期務めていた方)の筆で「山形牛」と書かれた額や、これは良くも悪くも埼玉の鉄道ファンには忘れられない人物である荒船清十郎の書などがあります。私のステーキをミディアムレアに焼き始めた頃、ちょっと話してみました。
「こちらでは、長くやっていらっしゃるんですか?」
「そうですね、17年になります。場所を移る前は、昭和 42年からやってました。」
「ということは、御主人は二代目ですか?」
「そうですね。えーと、二代目です。」*1
ということは、荒船氏の書が贈られたのはおそらく先代の時分なのでしょう。私の幼少の頃は、ビフテキなどと呼ばれ、友人の中でも限られた子供しか食したことのないような時代でした。
素敵に美味しいステーキを頂き終わった頃、また御主人がやってきました。
「お盆が終わって、ちょっとお客さんが減ってますね。」
「あ、そうですか。でも、あちらの家族パーティなどは良い感じですね。」
「そうですね。パーティなんでしょうね。」
ビールをジョッキで 2杯片付け、帰途に着きました。頻繁には来られませんが、また寄ってみようと思いました。

*1:なんで躊躇したのか分からず。