Bitcoin の混乱は、経済学者の理解できない論点が含まれていることではないか?

巷では、Mt.Gox の問題が Bitcoin 自体の問題として議論されているように思う。私の理解では「Mt.Gox 問題」は Bitcoin の実装上の技術的問題ではなくて、ただの「盗難事件(あるいは紛失事件?)」だと思う。まだ、漏れてくる情報が少ないので憶測ではあるが。
Bitcoin の論点は、大きく以下に分類されると思う。もちろん、間にそれぞれ微妙な関連はある。

  • 経済的論点: つまり、Bitcoin は通貨としての信任を得られるかという問題と、既存通貨との間で長期的に交換性が維持されるかという問題。私は経済学は素人なので、これら議論にはちょっと参加できない。
  • 実装技術の論点: つまり Bitcoinトランザクションは数学的に安全か、欠陥はないか、という問題。Bitcoin の基本的な安全性は、セキュアハッシュ SHA-256 と公開鍵暗号に基づいている。現在、Bitcoin だけでなく世の中の情報セキュリティ(銀行も利用している)は SHA や公開鍵暗号に大きく依存しているので、SHA に欠陥が見つかった場合は、Bitcoin にとどまらず世の中の情報セキュリティに関わる大問題である。数学的には、これらの技術に欠陥を見いだせばフィールズ賞ものの発見と思われるので、世界中の数学者が研究テーマにしており、簡単に欠陥が露呈することは、まずないだろうと思われる。
  • 運用ポリシーの論点: この辺は私も勉強不足だが、Bitcoin の運用ポリシーは、運用グループによる合意に基づいて遂行されているようだ。例えば、発行可能な通貨の総額や、マイナーへの報酬などには、人為的な関与がありそうだ。このポリシーが適切に管理されるかどうかには、ちょっと興味がある。
  • 運用技術の論点: 今回の Mt.Gox の問題はここに尽きると思う。つまり、Mt.Gox 社に対する Bitcoin の信託上の議論だ。これは、Bitcoin に特殊な事情ではなく、あらゆる金融機関に存在する問題ではないだろうか。実際、先日は三菱東京 UFJ 銀行のいくつかの支店において、休眠口座の記録が廃棄されてしまうというお粗末な事故があった。つまり、大なり小なり、人間が扱うお金の扱いでは誤りがあるものであって、たとえば現金輸送中に強盗に襲われるとか、支店が火災にあって書類が失われるとか、そういう可能性はゼロではない。ただし、「公的」に認められた大手金融機関で事故があっても何らかの形で補償されるが、認められていない Bitcoin 取引会社では、公的な補償が何もない、ということだ。

ここで注意しなくてはいけないのは、もし仮に、上記の「実装技術」に欠陥がないのであれば、Bitcoin を他人(業者)に預けたり、パソコンがウィルスに感染したり、Bitcoin ウォレット(財布)のファイルを事故で破棄してしまったりしない限り、あなたの Bitcoin が失われることはない、ということだ。逆に言うと、Mt.Gox の運用技術に誤りがなかったのであれば、Bitcoin の実装技術を改めて検証する必要があるだろう(私はその可能性は低いのではないかと思うが)。結局のところ、今回の問題が実装技術上の問題なのか、運用技術の問題なのかを議論することが大切なのだが、マスコミではこの辺がうやむやにされている。(たぶん、記者が理解できていないからだが、数学的な話なのでやむを得ない。)
さらに言えば、記者だけでなく多くの新聞などで経済の専門家がいろんなことを言っているが、その解説を聞いていて思うのは、彼ら(彼女ら)には経済的視点はあっても、それ以外の論点が明確でないことが問題だ。明確でないというよりも、他の論点に関する理解が足りないので強引な論法になっていると思われる。特に実装技術の論点(数学の知識)の欠如は、運用ポリシー、運用技術の不理解に繋がるので大きな問題だ。この議論はしばらくの間、根深いものになるだろう。