愚痴

海外出張で米国に滞在中は、ブッ壊れやすいレンタカーとか、大雑把な味付けの料理などにブツブツ文句を言っている訳ですが、同様に日本に帰ってくると、今度は自分自身を含むわれわれ日本人の欠点が気になってきます。
第一には、文化の幼稚性でしょうか。公共の場所で、子供マンガ誌を堂々と広げるような大人を、海外ではあまり見ないんですよね。あと、下品で内輪受けなバラエティ番組とか。米国にもくだらないテレビ番組はありますが、そこでも作り手と受け手は明確に区分されており、日本みたいに適当にお茶を濁して、「いいじゃないか、どうせ安い制作費で作っているんだから。そんなの承知で見てくれているんでしょ?」的な安直な番組は少ないように感じます。
第二は、身勝手さでしょうか。楽はしたいけど、責任も取りたくない、というような自分中心な行動を日本で多く見るように思います。例えば、ナンバープレートの赤外線遮光フィルムとか、折り曲げて視認性を下げたナンバーとか。米国でもブッ壊れかけたライセンスプレートを見ますが、あれは本当に壊れているだけで、恣意的にナンバーを読めなくして速度違反の罰則から逃れようとするようなクルマは見かけないように思います。あと、米国ではモールやホテルの駐車場に、身障者用のエリアがあります。日本でも増えてきていますが、こちらでは堂々とそこに駐車してしまう健常者が多いように感じます。米国では、その辺のマナーは日本よりも真面目に守られているようです。罰則が厳しいのかも知れません。あとは、スピードバンプですね。誰もが嫌な思いをしつつも、誰もが望まない事故を防止するため、米国では社会的に認知されているようです。日本では、まず見かけませんね。
第三は、本音と建前です。言い換えると、曖昧な責任分界とも言えるでしょうか。例えば米国では、職場の敷地などで「ここは従業員の通路として作られていません。会社は、ここの通行を認めていません。あなたがここを通って怪我をしても、それは完全にあなたの責任です」といった立札をよく見かけます。同様に米国では、自動二輪車のヘルメットは必須ではないようですが、それでバイクでコケてライダーが怪我をしても、それは完全にライダーの責任な訳です。日本ではこの辺において、「それは一応ルールだけど、まあ、大目に見ましょう」とか、「どちらにも少しずつ責任がある訳で、まあ、五分五分の責任分担としましょう」となってしまうのではないでしょうか。結果として、友人に尋ねるとバイクなどはメットなしで走るのが本当は爽快だそうですが、日本ではヘルメットは道路交通法上、着用義務がある訳です。「俺はメットをかぶりません。事故で死んでも、相手に責任を求めません。保険金なんか請求しません」という選択肢が存在しないわけですね。
話は変わりますが、私は、とある輸入キット製品が米国内と日本で価格が大きく異なることに不満を持っている訳ですが、なんとなく理由が分かる気がするのです。米国ではサポートというものは無償ではなく、(特別な契約がなく)購入者に問題があった場合、その対応は完全に有償となることが多いようです。日本では、なんとなく「俺は客だぞ。メーカーがサポートするのは当たり前じゃないか?」ということになり、その費用負担は無関係の購入者の間で均等に分担されます。その結果、サポートの費用をその名目で回収することは困難になり、予め製品価格に転嫁するしか、メーカーには手段が無いわけです。(昔は、海外製品の保証書を見て LIMITED WARRANTY という見出しに違和感を覚えたものですが、今は、なんとなく意味が分かる気がします。)
そんなことを言っても米国が全て賛美される訳ではなく、最近、米国の風変わりな商習慣を耳にしました。米国では、購入した商品が気に入らない場合、購入後いつでも返品できるという習慣があるそうです。例えば、洋服はとりあえず気に入っても気に入らなくてもまとめて購入してしまい、あとから気に入らない服を返品してしまうことは普通なのだそうです。ひどい人になると、購入後に自分の体型が変わったことを棚に挙げ、サイズが合わないからと返品してしまいます。着古した状態になっても堂々と返品する人まであるそうです。さらに、ステーキを注文したとき、焼き加減が自分の注文と違うと思えば、半分以上食べてしまってから文句をつけ、新たに肉を焼きなおす(作り直す)、というのは、よくある話だそうです*1。日本では、このような図々しいことをいう客は稀だと思うのです。
もう一つ。確かに 1980年代くらいまで、日本が工業技術で世界を席巻したことがあるのは事実です。特に、消費者向け電気製品とか、半導体メモリ製品などです*2。しかし、これを拡大解釈し過ぎる日本人があるのが困ったことです。例えば銀行の ATM (現金自動預払機)。多くの人は日本の ATM の使い勝手を世界標準だと思っているようです。確かに海外の ATM は日本製ほど高度な機能を有してはいませんし、ときどき故障した機械もあるようですが、

  • 多くの ATM は、24時間使えるのが当たり前で、午後 5時を過ぎたからといって他銀行のカードを拒絶したりしない*3
  • スーパーマーケットやビルの入口など、大抵の場所で ATM が見つかる。ヨーロッパでは、ビルの壁に埋め込まれていたりする。

ということがあります。日本でも最近コンビニ ATM が普及してきましたが、私が 2000年(8年前)にメキシコに旅したとき、田舎町でも ATM は 24時間運用でした。逆に、つい最近まで、海外からの旅行者が日本に来たとき、いつも困るのは、彼らのキャッシュカードが日本国内の ATM で利用できないことです。使えるのは、日中しか動いていない郵便局の ATM くらいでした。最近は、Cirrus や VISA マークのついたコンビニ ATM が増えてきましたが、以前は大変でした。
話が逸れました。最近思うのは、技術者の中でも、自分で工夫をする人が減ってきたのではないかということです。マニュアル通りの使い方しかできない人が多いのではないでしょうか。何か不明な点があると、自分ではリスクを取らずに責任の所在だけを明確にしたがる人もいます。それが最近の日本の文化なのかも知れませんが、日本の工業技術が少しずつ弱体化していくようで、私は少し残念な気がします。
今でも日本には多くの優秀な工業製品が見られますが、下請企業に無理をさせて作られている製品だったり、一部の職人芸的な技術者(利益度外視で、良い製品を送り出すことだけに誇りを持っている)のお陰だったりするように思えます。つまり将来、無理がたたって、いつかはどこかにホコロビが出てきてしまうような気がするのです。
こんなことを書くのは私が爺臭くなってきたからなのでしょう。しかし、こういう印象は国内に長くいるとだんだん気にならなくなり、たまに海外から戻ったときだけ少し違和感を感じる程度なので、備忘録として、ちょっと書かせて頂きました。
いずれにしても、日本に帰ってくると蕎麦やカレーライスなどの食事は口に合うし、箱庭のような景色にもかえって安心感を覚える私は、海外に長期間滞在するのがだんだんと辛くなってきたことは事実です。
最後に。日本は公共場所のタバコに対して断然甘いですよね。日本の若い人の中には、マールボロの CM とか見て*4、「アメリカ = タバコがカッコイイ国」とか思っているかも知れませんが、私の知る限り、アメリカにはタバコの CM なんてありません。タバコの自販機なんてありません。日本人が田舎だと思っているテキサスでも、公共の場所は原則、全面禁煙のようです。例外はお酒を飲むバーくらいでしょうか。さらに、テキサスの田舎町で路上をてくてく歩く人は稀だと思うのですが、日本に帰ってきて路上でタバコを吸いながら歩いている人を見ると、日本って本当にタバコに甘いよね、って思います*5
ところで、最近日本でもレジ袋が薄くなってきましたが、米国のやつ(plastic bag という)は以前から結構薄いですね。あれは品質が悪いだけなのか、あるいは環境負荷を考えているのか、どうなのでしょう。
以上、愚痴はおしまいです。

*1:前職時代のブチョーがこれをやり、部下の皆にブーイングされた!

*2:自動車やデジタル一眼レフカメラは、海外で今でも日本製品は優秀として知られています。

*3:海外には、Cirrus といったような世界的 ATM ネットワークがある。

*4:さすがに、もうやっていないのかな? 最近テレビ見ないから分からない。

*5:ちなみに、ヨーロッパは結構タバコに甘かったりするようです。