「The Art of Electronics」

電子工学の本です。トランジスタ回路の復習をしようと思って買いました。最初、CQ 出版の例の定本を買おうと思ったのですが、ありきたりなので、これにしました。Amazon.com では評判も極めて高いです。
受動素子に始まって、バイポーラトランジスタの基本回路、FET、発振回路、電源回路、デジタル回路、マイコン回路、高周波回路、なんでもござれの、電子回路のレシピブックです。ただ回路を列挙するだけでなく、回路の原理から、設計、応用上の注意点まで、これでもかというくらいに解説しています。

The Art of Electronics

The Art of Electronics

実は、この本をパラパラとめくって、何かとても懐かしい気がしました。なぜだろうと考えたら、これは、大人向けの「こども電気なんでも辞典」なのです*1
子供の頃、「なんとか百科事典」のような本に夢中になったことはありませんか? 理科少年だったら経験をお持ちの方も多いと思うのです。世の中の何か知らないこと、つまり、電車はどうやって走るの?、電気はどうして伝ってくるの?、ガラスはどうやって作られるの?、テレビはどうして映るの? そんな質問に対して、ページを繰る毎に解決してくれる魔法の本です。
別の角度から見ると、この本の偉大さは、アカデミックな雰囲気を徹底的に排除しながら、しかし、本質を正しく追究している点です。インダクタやキャパシタを説明する際、フェイザーを導入すれば綺麗に説明できるのに、それをあえて雰囲気だけでごまかしてしまう。(後記: 読み進んでいくと、フェイザーの説明もありました。ただし、全体を通じて数式の導出は少なめです。) 読者が脱落する「チャンス」を、可能な限り排除しているのです。フェイザーやベクトル表記を知っている学生は、優越感に浸りながら読み進んでしまう。実は、それが著者の思惑なのでしょう。
しかし、生半可な知識で書かれている類書と違うのは、技術の本質をこぼさずに明らかにしている点です。例えば、電圧や電流を「増幅」できるトランスと、能動素子トランジスタの本質的な違いは何か? 前者は電力ゲインを得ることはできないけど、後者はそれができるのだ! 明確な説明です。
ともすれば、最近の学生や技術者は、なんでもインターネット(特に Wikipedia)で解決してしまいがちですが、この書の優れた点は、冒頭から読み進めることによって、体系的な知識を得ることができることです。また、各所に参考回路例が掲載されていますが、「良い回路」に加えて「間違った回路」が例示され、読者には、なぜそれが間違っているのか、考える余地が残されているのです。
最後に、この本は英語で書かれているのですが、複雑な言い回しやボキャブラリーをできるだけ避けているので、英語の苦手な日本人でも十分に読み進められます。(英語のデータシートを読める技術者なら、問題なく読めます。) また、英語なので細部は汲み取れませんが、非常にフランクな文体で書かれている点にも好感を覚えます。
英語圏の学生や技術者に強く支持されている理由が分かった気がしました。最初、この本に加えて、トランジスタモデリングやら物性上の働きを述べた本も併せて購入しようと思ったのですが、この本だけでしばらく楽しめそうなことが分かったので、中止した次第です。無人島に幽閉される際には、広辞苑史記魔の山ファウスト第二部、ゲーデルエッシャー・バッハに加えて、ぜひこの本を持参したいところです*2

*1:物事を底辺まで深く掘り下げることはしないが、大抵の電子回路について体系を明らかにし、読者に洞察と、もっと詳しく勉強してみようという意志を与える。

*2:いずれも、私が読破できていない点が共通項。